六畳間のアパート

all quartets lead, lead to ...?say la-la-la...

怪我をして変わったこと

ハロウィンの過ごし方として一番推奨しているのは、自宅でアニメを見ながら鏡餅を食べること。

どうも、黒糖です。

 

さて今回もまた真面目な話

普通に話していても面白くない黒糖くんが2回に渡ってマジモンの真面目な話するって黒糖としてどうよ、といったところだけど、マジで怪我酷すぎワロタでチャリに乗れてないし、ネタが怪我のことと体毛が濃いことくらいしかない

 

よければ前回も読み合わせてくださると光栄です。 

rem1eye.hateblo.jp

 

 

 

日々に意味が見いだせなくなった

初っ端からクソ重すぎる

初手右ストレートでワンパンK.O

中国編の範馬刃牙も驚きの速さ

 

日々に意味が見いだせないと言うけど具体的にどんな感じだい?と

まず趣味である自転車に一切乗れなくて精神衛生上最悪です。

マジで笑えるほど乗れないのこれが。

僕が患っている怪我は腸脛靭帯炎と言って、膝の外側の腸脛靭帯が骨に辺り常に炎症を起こしている。

その炎上っぷりはノン◯タ井上とウー◯ン村◯を合わせたくらい。めっちゃ熱い。

大学最寄り駅から大学まで走ってるけど、普通に痛い。

 

ただ、この炎症はジッとしていると起こらない。

だから一日中寝ているときなんかは普通に元気だし、そんな日は心が躍る。

対して歩きまわったり、ハードなバイトをこなしたあとなんかはめちゃくちゃ重いし痛い。

そんな日は「もう一生自転車に乗れないんじゃないか」とか「最悪自転車やめようかなぁ」という気持ちになってしまう。

それこそ人生が終わったくらいの落ち込みよう。この気持ちは中々理解してもらえないのが悲しい。

 

そんな時、同年代フォロワーがチャリ乗っていたりすると普通に鬱になるし、人一倍やる気はあるのになんで出来ないんだろうなぁ...と余計に落ち込んでしまう。

 

そして果ては「生きている意味なくね?」や怪我で何も出来ず寝て起きて寝るだけの日々に意味が見いだせなくなる。実際生き地獄だしね。

 

マイナスにマイナスをかけるとプラスになる!落ち込んでいる時こそ進化の時だ!なんて言うけど、マイナスにマイナスかけても実際にはマイナスにしかならない。

人生は数字じゃ表せないんだな。

 

周りとの差が辛い

先程の項目でも書いたとおり、やっぱチャリ乗れてないと周りとぐんぐん差が広がっちゃうの。これが恐ろしいほどにね。

僕の場合、1年もチャリに乗っていないから、笑えるくらい足が細くなるし、それを以前友人に見られて笑われたっけな。ケケケ。

なんなら以前まで勝っていたと思っていた奴にも抜かされる。

言い方最悪だけど、見下していた人間に抜かされる、こんな屈辱はないよな。ざまーみろ、俺。

 

 

堕ちていく筋肉を見るのが辛い

隆々としていた太ももはチキンレッグになり、厚かった胸板はまな板に。

割れていた腹筋は太平洋のようになだらかに、奥羽山脈のような背中も公園の小山に。

 

筋肉は裏切らない筋肉を信じろ、なんて言葉がある。

僕はこの言葉を狂信していただけに、堕ちていく筋肉を見ると悲しくなる。

歩く度に衰えを感じる。

見出しに「堕ちていく筋肉」と表記したのはあえてであり、怪我で筋肉を裏切ってしまった自分に対する自戒のようなもの。 

 

そんな僕はウエイトを結構こなして、ウエイトを中心にメニューをくんでいたような人間なので、そんな僕からウエイトを取り上げたら割と何も残っていなくてワロタ。

 

毎日鏡を見る度に「また走れるようになる日は来るのかなぁ」と落ち込んでしまう。

朝からブルーだとテンションも上がらないし、陰キャに磨きがかかり、もうあとには退けないくらいの陰キャっぷりを徹底しつつある。

 

頼む、早く治って...。

 

 

自分と向き合う時間が増えた

怪我をしたことによる数少ないプラス。それがこれ。

具体的には自分の性格、目標が明確になった。

 

僕は僕のことをよく知る人間から「考え方が極端」だとよく言われる。

それを改めてこの怪我を通して痛感することになった。

 

怪我したことで自転車に乗れない→目標達成できんし行きてる意味ないやん

 

のようなくっそ極端な考えをしている。

 

常に全力投球で向かわないと相手にも自分にも失礼だと思ってしまうし、全力投球できない人生なんて生きる価値もねぇ、だったら潔く死ぬさ、と。

 

さぞ生きづらい人生だろうよ...と自分でも思う。

アホかな?

 

 

しかしそれ故、目標に対する感情も熱く大きいし、そんな自分が嫌いじゃないことも確かだ。

 

この怪我を通して改めて自分を知ることが出来た。

これは今後活きることは間違えないだろう。

 

 

人の立場に立ち物事を考えられるようになった

今まで自分中心で自分さえ良ければよく、損得勘定をしていた僕だが、この怪我を通して人に痛みがわかるようになった。

正確には「わかろうとする」ようになった。

 

人には人の痛みがあるし、人生背景がある。

だからその人にとって痛いことでも僕には無傷であって。

その逆もまた然りというワケであって。

 

自分が苦しんでいる今だからこそ、こうやって人の苦しみをわかろうとしているし、これは怪我がなかったら絶対にたどり着けなかった境地だと思う。

 

ま、結局これも人からよく見られようと得するための布石よ!w

 

 

自分なりの答え

毎日一生このままかもしれない、もう二度と自転車に乗れないかもしれない、きっともう二度と日の目を見ることなく去っていくかもしれない...。

治るビジョンは全く見えないし、一寸先も千里先も闇だ。

 

この不安たちは絶対になくならないし、正直な話毎日が怖い。

 

色々な施術を繰り返しているけど、よくなる兆しは見えないし、もうすべてが嫌になって自暴自棄になってしまう日もある。

 

僕の怪我なんて誰にとってもどうでもいい話で、皆が皆自分自身のことで精一杯だ。

それでも僕の怪我のことを毎日のように心配してくれる大学の友人達、ひいてはフォロワーの皆さんには感謝の気持ちしかない。

 

そして僕のやろうとしていることは、僕の夢は、大きすぎる上に叶えても金は手に入らない。

 

何故ここまで苦しんで、大量の時間と金と精神的苦痛を投資してまで達成したいのか、自分でも分からない。

だからこそ、きっとその夢は僕の人生にとって絶対的な存在で、きっとこれからの長い人生のマイルストーンになると思う。

 

その夢は皆からしたらガラクタで、しかし僕にとってはダイヤモンドで、その夢をいつか咲かせるために日々奮闘している。

 

失敗しない、雨も降らない人生なんてないわけで。

いつかきっと怪我が治り、再び東海道の舞台に立つことができると信じて。

 

いつか再びキャノンボールに挑戦することを夢見てこの記事を終わりにします。

 

 

こんあ自己満足鬱々記事にお付き合いくださりありがとうございました。

皆さんもお怪我には気をつけてね。マジで。