六畳間のアパート

手荷物は嘘以外の気持ちと少々の自信過剰

新卒入社した会社、2年勤めて退職した

黒糖です。お久しぶりです。

 

随分久しぶりに投稿させていただきます。

内容は、僕が新卒で入社し2年間勤めた会社をパワーハラスメントが原因でやめた話です。

人によっては見苦しいと思われる内容であるかもしれません。

また、特定を避けるためある程度ぼやかしている点があります。

ご了承ください。

 

 

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結構な文量になってしまったが、伝えたいことは特にない。

 

本当に、ただ1人の男がパワハラを耐えきれなかっただけの話をつらつらと書く。

 

目次

 

 

0.時系列について

2021年 4月 入社
2021年 5月 配属
2021年 8月 OJT退職
2021年 9月 課長がOJTになる
2021年 10月 パワハラが本格化
2022年 2月 設備、システム導入完了
2022年 3月 1年目 終了
2022年 10月 転職を決意
2022年 12月 休職
2023年 3月 退職

 

基本的にこの年表ベースで話す。

 

1.入社経緯

まず、筆者である僕のプロフィールをまとめる。

中堅地方私立文系出身。

就職先は地元ではそれなりに有名なメーカーで、区分上は大企業にあたるが「大手企業」かと問われると怪しい。

(実際業界では大手なのだが、とても大手を振って大手だとは言えない。大手だけに。)

 

新卒就活当初、営業職でなおかつ東証一部、名がしれているメーカーを中心に受けていた。


年収よりもWLB(ワークライフバランス)を重視し、就活を進めていた。
メーカーを中心に受けていた理由は、休みが多くそれなりにボーナスもあるからだ。

 

今思うと薄っぺらである。

 

また、仕事内容をイメージしやすいから受けていた、という理由もあった。


当初営業を中心に受けていき、3月中旬に国内でも有名な大手メーカーから営業職で内定をいただく。
ただ、全国転勤や営業職への不安もあり(内定もらってからそれ考えるの?)、職種を変えて生産管理職で就活を進めることに。

 

進める上で4年の7月ごろに前社から内定をいただく。

口コミサイト見た感じ、自分が入るであろう部署の口コミは悪くなく、大丈夫と踏切って内定承諾、入社へ。


2.入社~配属について

入社式。

全職種をみた感じ僕より高い学歴の人間が多かった印象だ。

僕含め5人いる同職に限っては全員僕より学歴が高い人間のみで構成されていた。
彼らに負けないよう頑張ろう、と意気込みながら研修を受け、配属先も決定した。


研修期間は当初3ヶ月で7月1日から本配属という話を聞いていたが、なんらかの理由があり1ヶ月半後の5月中旬から本配属に。


また、就活の際には生産管理の職種内容で説明されて内定を承諾したが、研修を経て工場付けの生産技術職に就業することになった。


業務内容は、工場全体の工程改善、設備導入、システム導入改善などがメインであった。

 

 

3.配属後について

配属初日、まず部署の人間が僕を含め5人しかいなかった。
社員構成は、年齢が1つ上であるが高卒の先輩、OJT担当である7歳上の先輩、定年再雇用のおじいちゃん、8歳上の大卒課長であった。

大卒の年齢が近い先輩もいなく不安だった。


ただ、直属の上司も8歳上と若く、やりやすい雰囲気なのかと思いっていた。

が、当たり前のように全員2-4時間残業していく。
初日の印象として「え、俺もこんな働くことになるの?」という感情を抱く。


職種の変更、イメージの違いは別に良いが、WLBを重視して入社しただけに震え上がっていた。

その心配通り、配属からすぐ残業祭りがはじまった。

 

具体的には1日2時間残業がスタンダードといったところだ。

 

 

4. 3ヶ月でOJTトレーナーの転職、悪夢の始まり

前述した7歳上の先輩がOJTトレーナーを務めてくださっていたが、自分が配属されて3ヶ月後に他メーカーに転職されることに。


非常に優秀な方で、この会社で唯一憧れていた先輩であっただけに非常に悲しかったのを覚えている。

また、唯一の良心であり、この人がやめたら誰を頼ればいいんだよ...という心境でもあった。
というのも、この人たち以外は長時間労働のせいなのか、常にトゲトゲしていてとても新卒が質問をしていいような雰囲気ではなかった。


部署は4人になり、OJTは課長が務めることになったが、ここから本格的な悪夢のはじまりとなる。

 

 

5.えげつないパワーハラスメント


「1年目だからしょうがない、なんて思ってんじゃねえよなあ!!!!!!」


1年目の僕が最も浴びせられた罵倒である。

30を超える大の大人に怒鳴られるといぅものは、かなり怖い。

仕事は分からない、どう進めていいかわからない状態で行き詰まって質問をしにいった際によく浴びせられた。

 

また、「納期遅れる直前まで仕事を溜めれば課長がフォローしてくれるだろう」と思ってあえて放置したこともある。

その際には、冒頭の1年目だから~に加え

詐欺師(おそらく納期まで間に合わせます、といって間に合わなかったことに対する罵倒)」


給料泥棒(おそらく、何も仕事ができてないことに対して)」

と強く怒鳴られる。
もちろん他の社員がいるところで。

 

会社から「頼りにするべきだ」と充てられたOJTがこれである。

 

また、社員構成と作業環境も課長がパワーハラスメントをする上で最適化されていた。
介入しようものなら僕の代わりに怒鳴られるということがあるからだ。

就業から1年半、同部署の人間から一切のフォローはなかった。


誰も彼も「無能なお前が悪い」というような感じである。

 

当時は「僕が無能だから仕方ないんだ」と自らを責めていたが、離れて分かる。

普通に1年目に対してOJTの務めを果たさず怒鳴り散らかすのは「終わっている」と思う。


昨今、アンガーマネジメントというものが流行っている。

(この概念については、今の会社に入って存在を知った。

前職は遅れているので、このような存在は無論認知されていない。)


そんな中で、仮に僕が間違っていたとしても間違いを「怒鳴りつける」というのはあまりにナンセンスであると考える。

寄り添えよ、流石に。

1年目に、寄り添えよ。


また、この課長はプレイヤーとしては非常に優秀であったため、誰も彼を止めることができないという背景がより「怒鳴りつける」という行為を加速させる。


一説によると怒鳴りつけている時、人はセックス以上に気持ちよくなっているそうだ。そりゃあ、やめれんでしょうね。

 

 

業務量もエゲつなかった。

大きなシステムの導入、設備の導入を2件任されていた。
これに関しては、非常にやりがいのある仕事を任せていただけて「頑張ろう」という気持ち一心で取り組めた。


生産技術特有の「現場が協力してくれない」や「新人の話を聞いてくれない」ということは勿論あったが、これは別にこの会社だからというわけではなく、どの企業でもあることだから許そう。


ただ、一切の助言もなく進捗が遅れていると怒鳴りつけ詐欺師、給料泥棒呼ばわりされていたのだ。


部署内で自分と同じ業務をしている人間もおらず、2件とも全社初の試みであったため誰に聞いても分からないとなる。

新卒1年目の自分の思う最適を選び、その度に怒鳴りつけられ、否定される。
正解を教えてもらえるわけでもなく。
一切のフォローもなく。


ぱないの!(忍野忍

 

そんな中、さすがに見かねたのか別部署の若い係長(4歳上 若く役職を持つ非常に優秀な方だった)、現場のお局さんが裏でフォローをしてくださった。


別部署のヤング係長は、直接的に僕の業務を見ていたわけではないため、実務のアドバイスはいただけなかったが、いつも僕の背中を叩き慰めてくださった。


お局さんは直接的に仕事をしていたため、社内メールにて

「いろうくんは1年目とは思えないほど働いているよ、みんな陰ながら応援しているから負けないでね」

というメールを定期的に送ってくださり、僕を支えてくれた。

 

仕事をやめた今でも、彼らとは連絡を取りあっている。

 

 

それでも、あまりの辛さに家で泣くこともあった。

マジで死にそうだと思われていたのか当時付き合っていた彼女が片道1時間半かけて僕の家に来てくれたり、地元の友人たちも遠いところから駆けつけて慰めてくれた。


本当、支えてくれる人がこれだけいた事に関しては恵まれすぎていたと思う。

 

同期は、労働時間が短く人間関係も非常に恵まれていたため誰一人として相談内容を理解してくれなかったが...。

 


結果、業務は分からないなりに何とか進めて2件とも導入することができた。

途中、スケジュールから大幅に遅れ、ここでもありえないほど怒鳴られた、机を蹴り飛ばされた後に始末書まで書かされた。

 

1年目で始末書て。今思うと笑ってしまう。

 

導入後、細かい調整など粗が目立ちとても大成功とは言えないけれど、今思うとようやったと思う。
本当、計画から検討導入現場との交渉現場教育など一切を僕が主体で仕切って導入できたことが誇りである。

 

 

6.転職を決意


1年目の話から飛躍してしまうが、2年目の秋頃に転職を決意した。


理由としては、業務量の増加と理不尽なパワハラの加速、若手の大量退職である。


2年目も1500万円に及ぶシステムの導入を一任されていた。
もちろん僕1人である。
システムのマスターデータの作成と導入のための設計書作成、仕様書作成、業者との打ち合わせ、スケジュール管理、その他わからないことに関しては現場に出て質問...。

 

これを繰り返すこと、毎月の残業は三六協定を切りまくり、月60-70時間の残業をしていた。


この主業務を抱えながら、新卒入社して同じ部署に入ってきた後輩のOJTも担当していた。
他にも、全社のくだらない会議への出席であったり、工場長が行う業務の肩代わりもして..、業績分析もして、部署で必要な発注業務も行って…。

 

キャパオーバーである。

 

これらの業務量の増加に加え、パワハラも増えていった。
後輩の面倒を見きれないときは自分が怒鳴られる、業務が遅れていると怒鳴られる、引き続き会社では給料泥棒、盗人と呼ばれる日々が続いた。


「明日は怒鳴られないといいな」と思いながら眠る毎日である。
毎日の残業は4時間に及び、朝7時に家を出て、22時に家に帰る生活を続けていた。
自炊をする余裕もなく、NASHのヘビーユーザーとなった。

生命力は弱っていく一方。
判断力も浅くなり、ストレスから金遣いが荒くなる。

生きてるのか死んでるのか分からない毎日で、大好きだった自転車にも乗れなくなっていった。
こんな日々が続くだけなんだなぁ、と思うと比喩ではなく涙が止まらなかった。

 

 


極めつけは、面倒を見ていた後輩が配属から3ヶ月で退職をしたことである。


「いろうさん、すみません。もう僕いっぱいいっぱいです。」


涙ながらそう後輩が告白してきた9月は残暑に見舞われていたことを覚えている。

仕事終わり、2人で近所の橋の下でタバコを吸いながら慰めあった。

後輩が泣いているのをみて僕も泣きそうになっていた。


「2人でこの理不尽な環境を乗り越えて、この会社の悪い雰囲気を変えていこうぜ」
そういった矢先であった。

 

そりゃ1歳上の先輩が自分の代わりにボロカス怒鳴られて、始末書書かされたり給料泥棒呼ばわりされたり、机蹴り飛ばされたり、死んだ顔して働いていたら「自分の1年後が、これか」とも思うよな、と。

やめたくもなる。


最後、後輩が「いろうさんを1人にして、本当に申し訳ございません」と深々頭を下げていたのを覚えている。

 

彼の仕事は全部僕に降り掛かってきて、ただでさえキャパオーバーだったものがキャパオーバーオーバーになった。


元々仕事が間に合っていない給料泥棒――――――僕の進捗は悪化の一途を辿る一方であった。

 


「てめぇは何もできねぇな、何ならできるんだよ!!!」


「はよしろバカ!!!」


「いいな、ただ座ってるだけで給料もらえて。給料泥棒が」

 

 

それだけでなく、課長の陰口もエグかった。
俺に対してでなく、他の部署や本社の人間に対してである。

 

「4ね」

 


これが課長の陰口を言う歳の常套句である。


今日日、コンプライアンスが厳しい中で、しかも管理職という役職を持ちながらも「4ね」という言葉を発する30歳超えが果たして日本にどれだけいるだろうか。

その悪口の中には、業務の都合上僕がお世話になっていた他部署の課長の名前が出てくる時もある。


シンプルに不快である。


小学生しか使わんだろ、4ねは。

詐欺師と呼ばれてる僕でも使わないよ。

10年は使ってないね。

 

また、他部署でもパワハラは横行しており、僕の部署ほどでないにしろネチネチやられているのを見たことがある。

残業時間も長い。


その結果か、下半期に突入する10月初旬には26歳未満の若手が10人やめていた。
当工場は全体で150人しか正社員がいないのに、そのうちの6.6%の人材がやめていくというのは異常である。


「まぁ、無理かもなぁ」


夜長は過ぎ去り、虫も鳴かなくなった初冬、適応障害の認定をいただき休職に入った。
休職前日、毎日4時間残業している課長が珍しく定時で上がった。

先輩も同時に上がった。


絶妙だ。


急いで今までお世話になった現場の人数人、他部署のヤング係長やお局さんに挨拶を済ませる。


DV彼氏、旦那から夜逃げする時ってこんな気持ちなんだろうなぁ。

 

 

「いろうは頑張ったよ。悪いのは間違えなく会社だ。俺もいつまでいるか分からんしなぁ」
頑張ったよ、お前は。間違えなく、と僕の背中を叩き、ヤング係長は言う。
泣くのをずっと堪えていたが、さすがに泣くものだ。


学生時代、居酒屋のバイトで客にビールかけられてもケラケラ笑っていた僕が、まさか社会人になってからこんなに泣くとは。


言葉に詰まり、ただ頭を下げるだけだった。ありがとうございます。絞り出した声でそう言うのみである。

 

「いろうくんは、どこでもやっていけるよ。次は、もっとあったかい場所で働けるといいね」
私のこと忘れないでね、と微笑む初老が言う。また泣きそうになる。

そして、3ヶ月でやめていったOJTにも電話でやめることと適応障害について報告をする。

 

1年半で3人、僕の味方がいたんだと思うと十分お釣りが出るな。
この会社に来てよかったとは思わないが、この人達に出会えて本当によかった。

 

 

7.その後


パワハラがエグい、労働時間が長いという話をすると同期たちによく言われるのは「労基に行こう」「総務に訴えよう」である。

いかにもぬるい環境で働いてきた人間が言いそうなことである。そんな簡単なものではない。
ボイスレコーダーごときでは動かないし、総務も会社のイメージを下げたくないので隠蔽をする。


総務に後日「課長になにか処罰ってありましたか?」と聞くと

「工場長から注意をしていただいた」とのこと。


おい!その工場長は俺が怒鳴られて給料泥棒と呼ばれているのを見て見ぬ振りをして一切のフォローをしなかった張本人だぞ!

 

 

ただ、フォローをするわけではないがこの課長も新卒時代は同じように上司からパワハラを受けていたようだ。

 

そして、それを耐えきり成果を出した。課長の成功体験は「パワハラを受けて、耐えて、成果を出す」だったのだ。
団塊世代が水を飲まず野球の練習に勤しんでいた頃を成功体験と捉えてしまうのと似ている。
あるいはDVを受けた子が親になった時、同じようにしてしまうことと似ているというべきか。
それしか知らなかったんだろうな。


可哀想ではあるが、それは正当化する理由じゃないよな。

 

また、「辛かったら逃げよう」「労基に行こう」が口癖の日和見主義者どもは
なにかしてくれるわけではない。
自分の身を守れるのは自分だけだ。

 

休職期間、何をしていたかは別の機会に話そうと思う。
これはこれで地獄が待っていた......。

 

その地獄のような休職期間中に先輩やエージェントの力を借りて、現職の面接を受け、資本金でいうと当時務めていた会社の200倍に相当する会社に転職。
結果として、キャリアアップをすることができた。

よかった。

 

 

8. 2年間で学べたこと


学べたという程ではないが、2年間このような環境に身を置いて思ったことを簡単にまとめたい。


配属ガチャという概念は非常に大きい
同期がほとんど残業をしていない、怒鳴られることもないホワイト環境(それが普通だね)で働いている同期もいる。
会社全体で見たら、そんなに悪い会社ではなかったと思うが、どんな会社であっても僻地の工場はこの有様でガチャ要素は強い。

 

・終わってる組織は、終わっているループに突入して手がつけられなくなり、より終わっていく
文字通り。終わっている組織はどんどん終わっていくので、根本的な改善がない限りやめていくでしょう。

やめていった、僕がOJT担当した後輩が辞めていったように、明るくない未来に失望もするよな。

でも上は気持ちいいからやめられないんだよな。

なら、力をつけて逃げる若手が大量に出て、逃げられて、後継が見つからなくなっても上は文句は言っちゃダメだよ。

 

・「辛かったら逃げろ」という助言をくれる人は、こっちが逃げた時は助けてくれない
同期がこれだった。所詮は口だけで逃げた時助けてくれるわけじゃないんだよな。
窮地で頼りになるのは自分だけであることを念頭に置いたほうがいいね。

 

・基本的に逃げないほうがいい、逃げずにある程度戦うことが大事で、「もう無理かもな」の一歩手前で逃げれたら最良
逃げずにある程度戦うことによって得られるものはある。と、言うと「お前はキャリアアップできたからそういうんだろ」と言われるかもしれない。
そう、やっぱり僕も弱者であるため経験論ベースでしか話すことができない。
僕が思う最良の方法は、力をつけてキャリアアップすることだ。

 

・周りは助けてくれないけど、頑張っているのは見ていてくれる
ヤング係長やお局さんがそうだったように、どんな状況であっても見てくれている人はいる。
その人たちは、直接助けてくれたり業務を手伝ってくれるわけではないかもしれないが、見ていてくれる。

 

・綺麗事でも何でもなく、支えてくれる人たちには本当に感謝をすることを忘れない
前職から離れた今なお、感謝の気持ちは一切忘れていない。
もう少し落ち着いたら、ぜひご飯に行きたいと思う。

 

まぁ他にも、12月まで在籍していたのに3月末に貰える決算賞与が一銭も貰えないこと(前職は決算賞与が1番大きなウエイトを占めていた)、僕の1/10くらいの難易度の目標を与えられていた同職同期が僕よりいい評価を貰っていたこと、総務が傷病手当の申請を忘れており手当金が入ったのが4月になってからだったことなど色々と突っ込みたいことはあるが、現職の待遇がいいから許すとする。

 

 

ただの覚書で、自分が読み返す用途メインで書いたものだが、同じように苦しむ若手社員に響いてくれたら僕の2年間の地獄も浮かばれると思う。

 

 

 

 

自戒も込めてこの言葉で締めようと思う。
パワハラは撲滅できない、なぜなら人間は弱いから。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

きっと自分が、管理職になった際にこのようなことをしないためにも。