六畳間のアパート

手荷物は嘘以外の気持ちと少々の自信過剰

やっぱり諦めの悪さこそが勝利を掴むと思うんだ

黒糖です。

 

今日はGW4日目で、従来の夜行性を発揮して眠れないので公私ともに様々な整理をしていました。

その中で久々にブログを書きたいなという気分になったのでキーボードを叩いている次第です。

今日は表題にある「諦めの悪さ」について最近思うことがあるので書いていきたいと思います。

 

皆さんって、諦め悪いですか?

僕は、自他ともに認めると思うんですけど、かなり諦めが悪いと思います。

折り合いをつけるのが下手なんですよね。

「まぁいいか」と思うことが幼少期の頃から苦手で、やりきってやりきって、それでもダメでも「まだある」と強く思い、駄々こねて泥臭くもがいて、それでもダメなときに「飽き」が来てやめる。そんな感じです。

諦めるんじゃなくて、飽きるんですよね。おかしい表現な気がするんですけど、本当にそうなんです。

 

 

人生って諦めの連続ですよね。

早いなぁと思うんですけど、僕も今年の春で社会人6年目。

気づけば3社目の職場で働いており(転職スパン短くない??)、順調ではないにしろキャリアを積み重ねております。

当初思い描いていた社会人像って、毎日定時で上がってプライベート全振り、仕事は最低限で済ます。そんな感じだったのに気づけばしこたま働かせていただいております。

 

いろんな職場を見てきましたが、今の職場は全体的に士気が高いです。

特に直属の上司の意識、実力は共にとんでもなく高く、ついていくのに必死でありますが、毎日少しではあるものの上司のいいところを吸収してやろうという感じで成長できている。と信じたいです。

とても僕の学歴じゃ、新卒入社はまず間違えなく不可能な会社の総合職として勤めております。

私立F欄文系なのに、技術系のコンサルっぽいことをしています。

こんなキャリアを歩むなんて6年前、桜ひらひら舞う中死んだ顔であくびしながら歩いていた僕に想像できたかって話ですよ。

キャリアを積むうえで僕は「諦める」ことをしませんでした。

どんな環境であれ、いつも虎視眈々とキャリアを積むことだけを考え、実績を残して研鑽をしてきました。

その中で、僕は周囲の優秀な方々と比べ「賢くない」ことが分かりました。

能力も、自分でもわかるくらいピーキーで、本当に環境次第で働きやすさがガラッと変わるタイプです。

リーマンとしての優秀さって、どんな環境/人の元でも安定したパフォーマンスを発揮できることにあると思うんですけど、僕はそれじゃないんですよね。

噛み合ったとき限定、本当に上司からしたらたまったもんじゃないですよね。

 

じゃあ何が強みなん?ってところをずっとずっと考えて、そのポストを狙って転職活動を進めてきました。

足るを知り、足らずを知り、求められていることを考え、研鑽することは学も能もない僕でもできることです。

おかげで今の暮らしが、働き口があると思うと「諦める」ことをしなくてよかったなと思います。

 

 

自転車競技はどうだろう。

以前の記事でも紹介させていただいた通り、僕は25年7月に膝に穴を開けている。

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全身麻酔をかけて、車椅子からはじまった。

「3日で歩けるようになる」と執刀医は言ったが、全然そんなことなく汗だくになりながら暑苦しい医療用コンプレッションソックスを履いてビッコ引いて近所のバロー(東海圏によくあるスーパー)に食料品を買いにいったあの夏をまだ覚えている。

今も正座すると執刀した左膝は普通に硬いし、違和感もある。

もう、健常な左膝ではない。

でも、「諦める」ことなく続けてきたら現在33時間/月ほどトレーニングは積めるようになってきた。

だいたい実業団の上位層は60~80時間練習していると言われている。

そう思うとまだ及ばないが、膝に穴開けた割には乗れている方だと思う。

「諦める」ことを選択しなかったからな。

 

穴開けて、たくさんの金と時間をかけても僕は自転車競技を「諦める」ことはないと思う。

わざわざ膝に穴開けて、まともに歩けないという絶望的な状況で生活を送り、まだ本調子に戻れていない。

それでも、はじめてママチャリで140km走ったあの日の初期衝動がここまで僕を突き動かしてくれている。

あの感動を超えるものって、もう味わうことは難しいかもしれないけど、文字通り人生を変えてくれた自転車で一定の成績を残して満足してやめたい。

 

別に「なんでこんなことしてるんだろう」と思うことは一切ない。

好きでこの道を選んでいるんだけど、今、自転車競技を、自転車を好きかと言われると難しい。

変にリアリストで、実家が激細で、家庭環境もおおよそ最悪だった僕はサラリーマンとして大企業に勤めながらなんらかのスポーツをすることが中学生のころからの夢だった。

確か、当時はやっていた卓球か陸上で実業団選手になりたいって生徒会通信に書いていた気がする。

今思うと、そんなメジャースポーツの実業団選手になるならもっと死に物狂いでトレーニングしろよという話だが、結果自転車競技というマイナースポーツで実業団の名門と呼ばれているチームに入団することはできた。

(まだ走ってないけどね、ユニフォーム持ってるだけだけどね)

 

これらもすべて「諦める」ことをしなかったからだと思う。

 

思い描いた人生像とは結構かけ離れているし、想像もできなかったことがいっぱい起こっている。

そりゃそうだ!人生、はじめから何が起こるか、思い描いているレールの上をキレイに歩けたら世話ないよな!

 

中学生、高校生、大学生、社会人。

いつ頃からだろう、「多分だけど、なるべくしんどい方を選んだほうが正解に近そうだな」と思ったのは。

No pain,No gain.という言葉が好きだ。痛みなくして得られるものなし。

別に痛みを被ることが成長につながるわけではないんだけど、後で考えてみて正解だった道てしんどい道だったなぁ。

でも、これってもっとスマートな能や脳を持っている方々ならこんな泥臭く生きなくても済みそうなんだよな。いいなぁって。

でも僕はあいにくそんなことないから、そんなことない人間に許されている「諦めない」を続ける他ない。

 

仕事も自転車も、諦めずに続けたい。

 

結局、無様でも続けていれば何かは得られる。

全力で戦ったあとには必ず何かが残ると思う。

 

「諦める」ことを諦めたら、少なくとも怠惰に過ごし何も残らないような日々よりは良い日々が待っていると思う。

もちろん暗転もするだろうし、絶対にいい方向に進む保証なんてなく。

選んだ道を正解にするために続けていくほかない。

 

綺麗事でもなんでもなく、「諦める」という選択さえ取らなければ、何かしらで自分の満足する結果は必ず得られると思う。

実力が及ばず、運に恵まれず思い描いた通りにならなかったとしても腹落ちすると思う。

そりゃあ、勝利条件をどこに置くかで話は変わってくるけど、やめさえしなければなにかは得られるよね。

 

さて。

公私ともに環境が大きく変わっていく中で、自転車競技、いつまで続けられるんかなぁって思うような時間が増えた。

自分ひとりの人生じゃなくなってきたんだ。

その中で、ただの娯楽である自転車にどこまで時間が割けるかなんて、今後どうなるかなんて分からないけど、できる限りのことを続けていきたい。

 

 

数年後、どっかで折り合いつけて自転車競技を辞める日が来たら読み返して、その時何を感じるか楽しみだなぁ。

 

アラサーがタナ障害の手術で苦しんだ話

黒糖です。

今年もやってまいりましたロードバイクアドベントカレンダーの季節。

 

今年は7月に行った膝の手術から復帰して現在に至るまでのお話をしたいと思います。

下の記事と重複する部分もあるかと思いますが、何卒。

rem1eye.hateblo.jp

 

 

1.概要

2024年シーズンは月2戦のレースに加え毎月1000kmほどのトレーニングをしていた。

オンラインコーチはついていたし、トレーニング自体も理論的には破綻していなかったと思う。

でも、最優先事項は常に競技の成績だった。回復?二の次。疲労?気合でなんとかする。そんな感じの日々だった。

結果、常にオーバーワーク。
身体は重いし、朝起きた瞬間からもうしんどい。

練習強度もずっと高止まりで、回復が追いつくわけもなく、今振り返るとずっと鬱っぽかったと思う。

2024年8月中旬にチームメイトとちぎりあいをしていたとき、左膝のタナあたりが「ピキッ」となった。

「あ、終わったかも」と思ったが少し休めば回復するだろうといったくらいの心持ちでいた。

どうせしばらくしたら治る。いつものやつ。そう高をくくっていた。

でも治らなかった。
日が経っても、週が経っても、何も変わらない。

スポーツ整体に通いながら、たまに自転車に乗ってみる。でもやっぱりダメ。痛みは消えないし、むしろ膝を意識する時間だけが増えていった。

2025年4月、ようやくスポーツ整形外科へ。
そこで言われたのが、タナ障害

しかも手術が必要だという話だった。

(タナ障害についてはたくさんネットに文献があるのでそちらを読んでほしいのですが、要は何度も繰り返される動きの中で滑膜ヒダと呼ばれる組織がこすれて大きくなって骨の間に挟まっているってことだ!!!)

 

そして2025年7月、手術。
そこから6ヶ月が経って、今に至る。

 

2.手術に至るまで

もともと怪我が多い選手だ。

キャリアを振り返ると、怪我してない期間の方が短いんじゃないかと思うくらい、ずっとどこかしら壊してきた。

以前、椎間板ヘルニアをやったときは保存治療を選んで、時間はかかったけど復帰できた。だから今回のタナ障害も、最初は迷いなく保存治療を選んだ。

怪我をした2024年9月~2025年3月までの半年間、とにかくリハビリにあてた。
ウェイトトレーニングで筋力を増やして、フォームも見直して、やれることは全部やったつもりだった。

でも、一向によくならない。

「これ、何やっても無理じゃね?」

薄々そんな気はしていたけど、認めたくなかった。
どうにもならなくなって、もう手術前提でスポーツ整形外科に行った。

そこで改めて言われた。
「手術が必要ですね」

ああ、やっぱりか。
どこかでホッとしている自分と、終わった感覚が同時に来た。

 

 

画像

手術前日にサインを執筆した同意書。

そこには「術前に原因を確実に特定する事がしばしば困難で、手術による滑膜切除が治療であると同時に、確定診断を得る手技となる事があり、その為、疼痛の残存や可動域制限が残存する場合があります」と記されていた。

手術したところで絶対に治るわけじゃない、そんな不安を抱えながらの手術となる。

 

高額な治療費、リハビリ費、時間を費やしてもなお復帰できるかは分からない。

 

頭がおかしくなる。

 

俺は、他の同年代が結婚したり昇進に向けて仕事に励んでいる中、魂と寿命と金と時間と心の余裕を削ってチャリンコレースのためにこんなに苦しんでるのかよ。

 

 

おもろすぎるだろ、俺の人生。

 

 

まぁどのみち手術以外復活する方法はないから速攻で受諾。

 

 

入院は全部で3日、1日目は午後休をとり入院へ。

 

2日目(手術当日)は謎の飲料だけさしだ差し出され、これ以外は接種できなかった。

謎の飲料

自分が呼ばれるまでずっとアニメ「無彩限のファントム・ワールド」を視聴し精神を整える。

相部屋の高校生も膝の手術らしいが、両親が来ていた。いいなぁ。

家族以外の面会がだめだったため、恋人も友人もいれることができない。

いや、手術前って本当に不安だから誰かに会いたかったんだけどね。

また、ずっと点滴刺されてて痛かった!!

 

呼ばれたときのツイート。

ちなみに4秒で寝た。頭をぶんなぐられた感覚がきたと思ったら昏睡してた。

 

ちなみに、麻酔から覚めると本心を語ると言われている。

事前に大好きな芸人 金属バットの人間ドックで全身麻酔をかけられる動画を見ていたが、確かにずっと漫才について語っていた。

俺はというと、めちゃくちゃ自転車競技について語っていたらしい。

 

今、自分がどんな状況にあり、何を思っていてどこを目指しているか。

ここに書くのは恥ずかしいくらい熱いことを語っていたぽい。

 

手術後、チームメイトが差し入れを持ってきてくれたり、友人がラノベを持ってきてくれたことはめちゃくちゃ心強かった。

チームメイトの差し入れ うますぎて本当に涙を流した



マケイン8巻 内容がアツすぎて病室で吠えていた 馬剃さんは俺がもらっていくね

 

3日目、特になにもなく退院

片側だけオートメイルぽくてカッケー!

 

 

3.手術~3ヶ月後

執刀医からは「だいたい3ヶ月もすればロードバイクには乗れますよ」
「翌日から歩けますし、1週間もすれば現場にも出れると思います」

と言われた。

 

当方、メーカーで設備保全の仕事をしているので歩けるならまあ、なんとかなるか…と思っていた。

 

全然ならなかった。

 

手術翌日。
痛すぎて、まともに歩けない。引きずるようにして移動するだけで精一杯。膝は曲がらないし、トイレに行くのも一苦労だった。

基本的に寝たきり。
ずっとアイシング。
曲がらない上に感覚もないので自分の脚じゃないみたいだった。

 

職場には現場に出られないことは伝えていたけど、風当たりは正直きつかった。
「いつになったら動けるの?」
その空気が、言葉にされなくても伝わってくる。

 

身体もきついけど、メンタルが削られる。
逃げ場がなくて、当時の彼女に八つ当たりみたいに気持ちをぶつけてしまったこともあった。

リハビリは、週2回の保険治療+週2回の保険外治療。

金が、文字通り死ぬほど飛んでいった。

 

内容はヒップレイズとゴムバンドを用いたハムストリングスのトレーニング。
地味すぎる。

でもやらないと、歩くたびに膝が痛む。

 

毎日やった。
本当に、文字通り毎日。

 

「やったらやった分だけいい」と言われたヒップレイズはやりすぎて傷口が開くほどだった。

 

「俺、なんでこんなことしてるんやろ」

何度もそう思った。
それでもやめなかったのは、競技復帰したかったから。ただそれだけ。

もう一度、フィニッシュラインを一番でくぐり抜けて、吠えたかった。

 

3ヶ月が経つ頃、ようやく日常動作は少し楽になってきた。
でもダッシュはできない。エアロバイクも無理。

もちろん、ロードバイクなんて乗れるわけがなかった。

 

 

手術後1ヶ月の膝 明らかに腫れている 3ヶ月でロードバイク乗れるわけねーだろ!

 

4.手術4~6ヶ月後

必死にリハビリを続けた結果、自重スクワットやランジはできるようになってきた。

ずっと続けていた上半身のウェイトトレーニングも、見た目が変わるくらいには成果が出てきた。
(まあ、自転車競技的に意味があるかは置いといて...)

 

治療の頻度も、週1回 → 2週に1回へ。

理学療法士さんからは「回復は順調ですね」と言われる程度には回復していた。

 

転職活動や仕事が忙しくなってきたこともあったが、続けてリハビリは行っていた。

 

ただ、それでもなおロードバイクにはまたがれていない。

 

5.その後の目標について

正直手術するまでだったか?と思うほどには苦しくしんどい日々ではある。

体が満足に動かない日々は想像以上にストレスだし、仕事でも風あたりが強くなって気が狂いそうだったし、そこまでしてチャリンコレースをやる必要があるのか?というところではある。

 

怪我に苦しんで、私生活も厳しくなって、金銭的にも余裕がなくなって気づけば27歳。
選手として、決して若い年齢じゃない。

 

それでも、やっぱり目指したい場所がある。
中途半端に、怪我を理由にやめたくない。

 

やめるにしても、「やりきった」って言い切れるところまで、時間もお金も使ってからにしたい。

選手として、笑って死にたい。


苦しいし、不安だし、先は全然見えない。

でも、この姿を見て「自分ももう一回頑張ってみるか」
そう思ってくれる人が、どこかに一人でもいたら嬉しい。

そういう道しるべになれたらいい。

 

そのためにも、来シーズン、目指すレースで優勝するために。

今日も黙って、リハビリをやろうと思う。

 

 

みんなも一緒に頑張ろうね。

来年のアドベントカレンダーはレースの優勝レポかけたら気持ちいいと思うので頑張ります...。

タナ障害の手術をすることになった

黒糖です。

 

趣味でチャリンコレースを行っている僕ですが、この度タナ障害という怪我を治療するために左膝に内視鏡を入れて手術することになりました。

 

 

昨年9月ごろより左膝の内側に鈍い痛みを感じていた。

2ヶ月ほどはテーピングをしてごまかしながらL2メインで回していたのですが、一向に治らないため名古屋市西区のスポーツ整形にてMRIを撮影するも異常なしとのこと。

 

ネットで調べてみたところ、タナ障害が疑われたため、セカンドオピニオンとして名古屋市昭和区の有名なスポーツクリニックに行ったところ、タナ障害の疑いが強いため大学病院を紹介され手術が決まったという流れ。

 

タナ障害とは、滑膜ひだと呼ばれる本来不要な異物が繰り返される動作の中で肥大化し、骨の間に挟まって炎症してしまうというスポーツ障害。

 

赤い部分が痛い、常に違和感があるという感じ。

手術は内視鏡を入れてタナを切除するという簡単なものだが、このスポーツ障害の厄介なところは手術したからといって良くなるわけではないということにある。

 

実際、日本を代表する膝の名医に診てもらっているのだが、その医師をもってして「消去法で行う手術だから僕もやる前はすごくモヤモヤする」と言わしめる厄介さ。

 

本当にお金も時間も精神的苦痛もひどい、社会人になってまで何故ここまでチャリンコレースに固執してんねん。チャリンコレースの神様がいるとしたらあまりに見放されすぎてるだろう。と、思うんだけどチャリンコレースやめたところで他にやることないのでやっていこうかなというところ。

 

二泊三日の入院も要するそうだが、あまりに暇になることが予想されるため、正式な場所と日程が決まったら告知いたしますので、読者の皆様におきましても遊びに来ていただけますと幸いでございます。

現状、負けヒロインが多すぎる!8巻の通読以外にやることが決まっていない。

思い返すと入院というものが初めてだし、そもそも手術もはじめてやった。

 

不安は尽きないし、チャリンコレースやれなくなると人生いよいよやることなくて4ぬくらいしかやることなくなっちゃうしね。

 

ここでも言ってるけど、これだけの困難(?)を乗り越えてレース復帰できたら相当アツいし、皆様より同情ポイントも稼げる。

ついでに主人公"感"ポイントもガッポリ。

 

最近は一周回って「有能なのに冷遇されている俺のリベンジ劇」系や「不良・劣等生かと思いきや血筋最強でした」というジャンプ系よりも、泥臭く困難抱えまくって少しだけ結果を出す主人公が評価される時代でございます。

 

あたしは正にそれでしょう。

モーニングとかの主人公にいそうだし、年相応の主人公"感"が出てきてステキかもしれんね。

 

チャリンコチリンチリンしとるだけのアタクシですが、やはりこういう活動を通していろんな人に希望を与えたいと思ってるんです。

「うわ、あいつまた怪我してるよ」というところから諦めずチリンチリンして結果を出していく。同じくチリンチリンしてる同志諸君においても負けてられないとなりより一層チリンチリンさせてくれるのではないでしょうか。

 

さっきも言ったけど人生において他にやることがなさすぎるんですよね。

 

両親とは絶縁してるし、大手企業勤めだけど鼻くそほじくる以外の業務を与えられていない僕の人生はチャリンコレースの最終コーナーで出るありえないほどのドーパミンがないと退屈すぎて首吊ってまいます。

 

でもチャリンコレースできてない今は、周囲よりレースシーズンに比べて心身ともに丸くなったという評価をいただいております。

チャリンコレースはやめたほうが幸せになれるし、周りにも優しくなれる。とわかってるんですけどね。借金、大怪我、精神疾患を患ってまでやることじゃあないとわかってるんだけど辞められそうにない。

 

そして怪我を通して、改めて周りの人らに支えられていることも分かりました。

みんなめちゃくちゃ心配してくれている。本当にありがとうございます。

 

 

俺がまたチャリンコレースで優勝したあかつきにはクソでかい声で祝ってください。

 

経過も含めてYoutubeやブログにてお知らせ致しますのでよろしくお願い致します。

椎間板ヘルニアから3年ぶりに復帰して通年レース走ってみた

本記事はpayanecoさん主催のロードバイクアドベントカレンダー2024の寄稿記事になります。

 

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どうも、黒糖です。

毎年書かせて頂いてるロードバイクアドベントカレンダー、今年で7年目になります。

ブログの執筆頻度もガタ落ちして年2が関の山の僕にとっては大きなイベントでございます。

今年も締め切り2日前に必死こいて書いております。

 

今年の記事では、3年ぶりにレースに出て通年走りきった話をさせていただきたいと思います。

自分はデータ的なものやインプレッションなどは特になく、毎年メンタル面、気持ち的な話ばかり書いておりますが今年も例に漏れずその方向でいきます。

今年の文章も、同じように怪我や精神的に参っている誰かの心に届いたらこの上なく幸せでございます。

 

 

当記事で伝えたいこと!

・ヘルニアという大きな病気を抱えていても復帰できる

・労働によりうつ病になってもチャリンコレースはできる

・「なせば大抵なんとかなる」

 

 

目次

昨年について

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昨年は2021年4月~2023年3月まで務めた1社目でパワハラ激務により4にかけたので、自転車競技をやるためにも空いた時間で椎間板ヘルニアのリハビリをし、転職してなんとか自転車に乗る時間、環境を手に入れた話をいたしました。

 

自転車に限らずですが、本気でなにかやりたいならまずは環境を変えること!

結果、今では基本的に定時で上がりチャリンコに勤しんでおります。

 

ヘルニアのリハビリについて

ヘルニアは強い痛みが治まったらウォーキングからはじめ、徐々に強度を上げていき筋肉をつけるという方法で治していった。

 

「本当か?」と思うが、適度なウェイトトレーニングはヘルニアの治療、予防に良いとされているらしくひたすらジムでスクワットをしていた。

 

また、週に1度スポーツ系の接骨院に通ったり、朝晩とコンプレフロス、フォームローラーによるケアを行った。

 

よく「おすすめの接骨院の見分け方」について聞かれるが、個人的にはエキ〇ン(クチコミサイト)の評価が4以下のところを選ぶようにしている。

4以上のところは大抵サクラだからなぁ。

 

あとは頻繁に通い続けることが大切。

 

治らない間、治療後の車で「月2万円も飛ばして本当に意味あるんかな……」とかブルーな気持ちになるけど、ある程度通ったりリハビリしていると必ず快方に向かいます。

 

お金も時間をかけてなんとか復帰して2024年1月から本格的に自転車に乗り始めた。

 

2024年総合戦績

13レース出場 10入賞 1優勝

 

2024年2月~6月

2024年2月、3年ぶりにレースに出走。

東海圏では有名なAACAカップという草レースにエントリー。

 

1-3(中級カテゴリー)結果8位(60人くらい出てた)

 

最終スプリントに絡めず、全く走れない自分に心底ショックを受けたのを覚えてます。

帰りの車で「マジで怪我した分取り戻せるんかな」「思い描いていた自分の走りとあまりに違いすぎるな」とショックを受け放心状態でした。

 

 

さすがにこりゃ~先は長そうだぜ、と落ち込んでいたところにActivikeさんにてコーチング募集をしているツイートを発見し、3月よりコーチをつけトレーニングを開始。

 

結果から申すと、僕は性格上「かなり追い込める」タイプであるため、コーチングは相性バッチリだった。

 

コーチも熱い方で、トレーニングやレース毎にメンタル面のアドバイスをくれて非常に励みになった。

 

3月のAACA1-3カテゴリー、結果はすぐに出た。

前月は勝負にすら絡めないところ僅差で負けるくらいには取り戻せた。

レース慣れしていなかったということもあるが、コーチングの効果はデカかった。

 

続く4月も同様に入賞、そして5月は1-2カテゴリー(上級)で3位になった。

午前中に1-3に出場し、午後から出た1-2でこの結果。

JBCF(実業団)E2,E3カテゴリーに匹敵するこのレースに3年ヘルニアでまともに自転車乗ってなかった僕が2ヶ月で入賞できた、シンプルに自信となった。

 

これにはコーチもびっくり!

 

 

ただし、かなり追い込めてしまうため毎月発熱し筋肉もメンタルも年次有給休暇もゴリゴリに削れていった。

 

↑問題は規則正しい生活じゃねーよ!インターバルのやりすぎだっちゅーの!

 

この頃は20-10秒インターバルを40本ほどやる鬼畜みたいなメニューを週2回、その後にLSD、空いた日はとにかく距離乗る見たいな方向でやっていたため走行距離は1000km以上当たり前、TSSも月間3000はあった。

 

この頃から友人の誘いを断りまくっていたため、誰からも誘われなくなった。

 

様々なものを犠牲にして「通年レースを走る」ということがわかった上半期だった。

 

2024年7月~12月

続く下半期。

上半期は眼の前で優勝を逃すという展開が多く、精神的にきつかった。

部署も変わり、仕事を覚えていかなくてはいけない中でトレーニングの時間を作ることは決して楽ではなかった。

 

ハンドル投げをして負けた。

相手はJBCF(実業団)E1の選手、地力で負けた。

この日は帰りの運転中に涙がこぼれたのを覚えている。

いやー、頑張ってんだけどな。今日勝てなくていつ勝てるんだよ。って。

 

そんな中でも熱い言葉をかけてくれるコーチがいた。

一緒に戦ってれるチームメイトがいた。

普段トレーニングのツイートをしないでレース結果だけ呟く僕にいいね、リプを送ってくれるフォロワーの皆さんがいた。

 

なんとかもうちょいやってみるか、と挑んだイナーメ信濃山形主催 開田クリテリウム

 

結果 優勝;;

 

3年間のヘルニアも、しんどかった新卒就職からこれまでも一気に報われた。

 

ちなみにその後はトレーニングのしすぎでタナ障害を患い、9月末から12月現在まで自転車に乗れておらずリハビリ生活をしてます。(おい!)

 

伝えたいこと

冒頭でもお話しましたが、人生ってマジでなんとでもなるしチャリンコレースに限って言えば人生よりももっともっとなんとかなります。

 

ロードバイクアドベントカレンダー主催のPayanecoさんに今から6年前、大学生であった頃に「人生なんとかなるから気楽に」とメッセージをいただいたのですが、まさにその通りで。

 

大きな怪我でチャリンコレースやめちゃうのも、もっというと人生をやめる、自ら命を絶つことも勿体ないなと思います。

 

なるべく諦めず、でも時には諦め休みながら少しずつ少しずつ進んでいけば望む形、じゃないかもしれないけど何かしらの結果はついてくると思います。

 

と、いうのをコーチがついているにもかかわらず結果に急ぎすぎてトレーニングしすぎ怪我した自分にも言い聞かせリハビリを頑張ります。

 

 

第12回 開田クリテリウム 優勝

黒糖です。

今回はイナーメ信濃山形主催の長野ローカルレース 開田クリテリウムのレースレポートをまとめていきます。

はじめに、レースレポというよりはこのレースで勝つまでに懸けてきた思いの部分が強いです。よろしくお願いします。

 

開田クリテリウムについてはコチラから

kisochari.net

 

目次

 

 

結果とレース概要

一般カテゴリー 優勝

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レースは一般カテゴリー(JBCF非登録)、JBCF E3、E2カテゴリー、JBCF E1、P1カテゴリーの3つがある。

レースは1周2.1kmで1kmゆるい登り、1kmゆるい下りとなっている。

下りは道が荒れていてなおかつ狭いため順位をあげることは難しいので、登りで頑張る必要がある。

クリテリウムというより、過去優勝経験があるリトルワールドのようなコースレイアウト。

コーナー技術が乏しいがパワーはちょっとだけある自分にとって非常に走りやすいコースだった。

こちらのコースを合計5周走るのだが、うち3周ほどはローリング(イナーメのプロカテゴリー選手が先頭を引きトレーニングと言う感じ)、残り2周からレースという感じになる。

 

しかしながらNPは320Wを超えるハードなレースだった。

開田高原という標高1000mの地点でもガーミンの温度計は38度に達していてとにかく暑く、4Lくらい頭から水をかぶった覚えがある。

 

2周とはいえ、楽だったかと言われたらそんなことは全くなかった。

1周のリザルトとはいえ、プロを含む全カテゴリーで一番速かったのは自分だったからだ。いやーキツかった。

 

レース展開について

先述の通り、実質4kmのレースだったのでスプリントに持ち込んで勝つ気持ちで望んだ。

先頭はほぼ引かない、ペース維持を目標としていた。

登りはちぎれないようについていき、下りでしっかり休む。

それを繰り返し、最終周のホームストレート、2-3%の登りを1分間踏み倒して2位と7秒差をつけて優勝という形だった。

 

1分パワーはナイショWで、過去2番目のパワーがでてびっくりした。

冬場地道に行ってきたウエイトトレーニングがいきてきた、そんな感じの超ロングスプリントだった。

 

経歴とトレーニングについて

経歴について

よくレースレポートとなると、当日の朝の準備などをお話される方が多いが特筆すべきことはないため、軽く経緯を話したいと思う。

 

経歴として、2020年9月より自転車競技をはじめた。

大学4年の終わりごろ、それまではトレーニングらしいものはするものの、ロングライドがメインだった。

そんな中、レースではじめて3ヶ月弱でリトルワールド サイクルミーティングで優勝をすることができた。

 

引き続いて活躍していこうと思っていた矢先に椎間板ヘルニアを患い、自転車競技の休止を余儀なくされてしまった。

 

労働環境も非常に悪く、80時間近くに及ぶ残業時間とパワーハラスメント躁うつ病を患い、家から一歩も出られない日々を送っていた。

 

当時付き合っていた彼女とも別れ、実家とは絶縁しているため帰る宛もなく貯金をすり減らしている中で総務が「傷病手当を申請し忘れてたw」と言ってきたときは「ああ、俺は死ぬんだろうなぁ」と覚悟したものだった。

食いつなぐために住居を解約し、抗うつ剤を飲みながらデリヘルドライバーとして1日18時間働いて耐え忍んだ。

 

詳しくは下記ブログを読んでいただけると幸いです。

rem1eye.hateblo.jp

 

心身ともにすべて終わっていた状態から転職して、なんとか自転車に乗る環境と身体を取り戻した。

復帰後現在(2024年9月1日)、13レース出場で入賞が8回、周回賞が2回、優勝が1回という個人的には十分すぎる成績を叩き出せていると思う。

たた、開田で勝つまでずっと入賞が続き悔しい思いもたくさんしてきた。

何度も腐りそうになってきた。

1つ勝てたことで精神的にも少し楽になれた気がする。

 

 

そして、本当にここまで戻ってくるのは楽じゃなかった、1日たりとも楽な日なんてなかった。

 

でも、復帰して勝って終わりじゃなくて、ここからだと思う。

もっともっと勝ちを重ねたい、もう走れないなと思うその日まで、一片の悔いがなくなるまで走り倒したいと心から思う。

 

レーニングについて

レーニングは、基本的にクリテリウムに特化した内容を行い取り組んできた。

3月よりACTIVIKEのコーチングを受け、担当となったコーチと二人三脚でここまで仕上げてきた。

そのコーチは元々自分が憧れていた選手であり、JBCFをはじめ数多くの高レベルなレースで多大な結果を残してきた方だ。

 

そんな選手が、入賞続きであと1歩及ばないときにこのような言葉をかけてくださる。

本当に心身ともにサポートがあり、コーチングを受けていてよかったと思った。

 

インターバルの内容は伏せるが、とにかく毎日しんどい練習4ヶ月重ねてきたのが実ったと思う。

また、冬の時期は徹底してウエイトトレーニングを実施してきた。

今回の勝利は、もがいた本数とスクワットでしゃがみ持ち上げた、レッグプレスで蹴りあげた回数が結果として実ったものだと思う。

 

優勝後

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優勝後はいつも応援してくれてる友人夫妻、大学の後輩と4人でお酒をあびるほど飲んだ。

久々に介抱されるほどに飲み散らかした。

Twitterでもそうだが、たかがサラリーマン1人の趣味にここまで多くの人が応援し反応をくださることが嬉しくて仕方ない、ありがたくて仕方ないんだ。

改めて自分は恵まれているな、と思う。

 

引き続いて「応援したくなるような選手」であり続けたい。

 

せっかくキツイ趣味をやってるんだから周りを巻き込んでナンボだと思うし、俺を取り巻くありとあらゆる人たちと一緒にレースの結果を喜び分かち合いたいよ。

 

 

今後も東海圏を中心にレースに出続けていこうと思う。

怪我なく事故なくここまでやれていることに感謝し、引き続いて努めていく。

 

2024年 抱負【今更】

黒糖です。

 

今更ではありますが、2024年の抱負を綴っていきたいと思います。

 

当ブログでは毎年抱負と統括の記事を書いていたのですが、2022年以降は仕事があまりに忙しく、自転車どころではなかったのとヘルニアという大怪我もあり自転車を降りるつもりでした。

ので、書くことも特になくつらまん日々を送っていたのですが、ヘルニアも克服できて再び競技の世界に戻ってくることができたので抱負の記事を書いていきたいと思った次第!

競技の世界に、とか言ってるけど元々半年くらいしか競技やってないんだけどね。

 

さて、気づけば5月に差し掛かろうとし今年も4ヶ月が終了してしまった。

まずはこの4ヶ月の振り返りもしつつ、目指すところをしっかり明記したい。

 

ブログで目標を明記することの何がいいかって、公言したことをすべて達成した年末があまりに気持ちいいことなんだよな。

自分の胸にそっと秘めるのもいいが、男たるもの大口叩いて達成したときが一番カッケーからな!ということで普段目標や練習内容を一切つぶやかない黒糖くんもブログでは色々と記していく。

 

まずこの4ヶ月で起こったことだが、大きく2つある。

 

1つはチームに加入したこと。

 

実は学生時代の競技人生(言うても半年だが)でチームに所属したことはなかった。

練習はストラバやツイッター経由で知り合ったご近所の屈強なおきなわ200上位レーサーや乗鞍年代別チャンプと殴り合っていただけだった。

おかげでレースも競技はじめて3ヶ月で優勝し、チームという縛りにない状態でも強くなれるならこれでいいじゃん(自由だし)って感じだったが、引っ越してこのメンバーたちと走ることが叶わなくなってしまった。

 

近所でチームを探してみたが、なかなかピンと来るところがなかった。

ぼーっとレースのリザルトを見ていたら圧倒的な入賞率を誇るチームがあったのでアポを取って何度か練習に参加した後、正式加入させていただきました。

 

25歳の自分と年代が近い方はいないのだが、年上の方々は積極的に絡んでくださり、年下の屈強なレーサー諸君はフランクにタメ口も交えながら絡んでくれる、雰囲気がとてもいいチーム。

レース勢の若手(15~21くらい、若いな!!)とゆるポタを楽しみたいアラフィフのオジサマたちで構成されており、レース一辺倒ではないところも好きなポイント。

あくまで「楽しく!」を掲げているのがいい。自分1人だとよく忘れることだから。

自転車って楽しくてやってるもんなぁ。(最近は全然そんなことないのだが、このチームで走ってるときだけは本当に楽しい!)

 

最速で目指すところまでたどり着きたいという気持ちもあるが、それと同時にこのチームで勝ちたいという気持ちが芽生え、加入させていただきました。

 

スポンサー様も4社ほどついてるチームなので、恥じない活躍をしていきたいです。

 

チームジャージ(借り物)を着て表彰台に上がった様子

 

もう1つはレース復帰して即座に入賞したこと。

これは意外というか、ヘルニアで3年も休んでいたのにこんなにあっさり3位とか取れちゃうんだ。というところ。

しかも怪我前よりもカテゴリーは上げて中級カテゴリー。

今やっていることが間違っていないという証明にもなっている。本当に嬉しいかった。

まだ入賞程度で何を仰る、と言われればそれまでなのですが!!

 

 

と、いう前提を持って以下の目標を掲げて2024年の残りを取り組みたいと思ってます!

 

 

 

 

1.AACAカップ 1-2優勝

一番大きな目標はコレ。というのも、チーム内の1-2入賞、優勝率の高さが尋常じゃない。

レース内容は1周2.5kmの河川敷を周回するものになっているが、1-2は距離が40kmほど(だいたい1時間)となっている。

もう少し短いほうが好きなんだが、そうも言っていられない。

 

また、公式が言うには1-2はJBCF E3~E2に相当するレベルだそうだ。

実際、1-2優勝、入賞しているチームメイトは皆JBCFで顕著な成績を残している。

(全入賞でE1昇格、E3優勝や初戦入賞など。本当にすごいな)

 

 

今後、自転車競技を何歳まで続けるかはわからないが1つの区切りは30歳だと思っている。

それまでには、やはり...一度でいいから年間を通してJBCFに登録して走りたい。

 

JBCFって、かっこよくいうと実業団というもので、この歳になって自転車競技をやるうえで一つの大義名分というか、友人たちにも「実業団走ってて...」というと理解を得られるという大きなメリットもある(のちに遊びには誘われなくなるが)。

 

そのうえで、やはり東海地区が誇る高レベルな年間ステージレース AACAカップの1-2(上級)には勝っておきたい。

あと、年間通してAACAに出場することでJBCFに向けて「常にレースに80%のコンディションで臨む」ということの練習にもなる。

フルタイムワーカーやっている以上、100%で臨むことは難しいがどのレースも80%コンディションで出場できるようにしておきたい。

 

ちなみに現状は1-3(中級)に3戦出場して8位、3位(入賞)、周回賞2回といったところで毎回優勝争いには絡んでいる。ので、まずは1-3を早々に勝ちたいところ。

足踏みしてる場合じゃない!12月までに勝たないといけないんだから!

 

2.体調を崩さない

恥ずかしながら1月から4月まで、毎月体調を崩している。

崩しすぎて熱の前兆がわかるほどだ。

対策として手洗いうがいマスクをしているが追いつかない...。

たくさん寝てたくさん食べてたくさん走る、それは健康があってはじめて叶うこと。

5月以降、一切熱を出さず健康に過ごすことを目標とする。

 

 

3.平田クリテリウム C2優勝

AACA同様、1周2kmほどの周回コースを走るクリテリウム

優先度はAACAに比べると低いが、こちらもしっかりと勝っておきたい。

このレースもほぼ毎月あるので、積極的に出場し毎回勝ちに行きたい。

 

 

以上が今年の目標。

ちゃんと公言したからには達成したい、し、できませんでしたならその理由も明らかにしたい。いやーーーーでも達成できないのは嫌だな、年末がしんみりしちゃうぜ。

 

 

今年も残り8ヶ月、健康で怪我なく目標を達成できるようにしたい。

全ては年末、笑顔で鍋を突くために!

 

 

 

これは年始に大学のころからの友人とフラッと立ち寄った静岡天満宮

受験の神様らしいが、勝負の神ってことでいいだろ!と上記のお願いを見守ってもらえるように祈っておいた。

 

1年後、笑顔で報告できるように。

 

 

フルタイムワーカーを続けながら自転車競技を行うのって結構大変かもしれん

 

黒糖です。

 

今年の4月から社会人4年目に突入いたしました。

その間にパワーハラスメント長時間労働、転職などなど様々なことがありましたが元気にやっております。

 

 

 

最も大きな出来事といえば、ヘルニアの回復と自転車競技への復帰でしょうか。

2月のAACA1-3から復帰して今日まで4戦出場し、入賞2回(3位、4位)、表彰台2回(周回賞2回)と3年休んでいたにしては上等だなという感じです。

画像

表彰台に上がった際の黒糖くん

社会の闇に飲まれながらも、まだこんな笑顔ができるんだ!!

 

2021年4月24日に椎間板ヘルニアの診断を受け、自転車から降りることを余儀なくされました。

その間、お遊びフィットネスとしてのトレイルランニングを少々嗜んでいた程度で、他は大したことをしていなかったのですが復帰することができ、嬉しいという言葉では形容できないほどには嬉しいです。

 

そして改めて思ったわけです。

自転車競技って働きながら行うにしては、あまりにリスクがデカすぎるし、絶妙なバランスの上で成り立っている趣味なのだ」と。

 

このツイートして思ったけど、怪我のリスクだけじゃなく部署変わっただけでも存続が危ぶまれる趣味ってナニモンだよ!

 

怪我のリスクについては、僕のようにオーバートレーニング(?)によるものもあれば、レース中の落車による骨折などもありますよね。

オーバートレーニングについては、肉体的な怪我の前に必ず精神疾患も患っていると思います。(強迫観念的な。練習しなくちゃ!という気持ちが常にあり、焦燥感で毎日苦しい、みたいな。)

レース中の怪我は場合によっては仕事にも支障が出ることを加味したら非常に危険ですし、職場から何言われるかわかったもんではありません。

 

自分はブルーワーカー的側面も持つ仕事をしており、現場に足を運ぶことも多々あるのでレース中の怪我は本当に洒落にならないので毎回ヒヤヒヤしてます。

 

 

また、部署が変わったら働き方も変わり、残業が一気に増えるなんてことも全然あります。

今でこそ月20時間残程度で済んでいるので、平日ゆっくりする時間がないというだけでトレーニングは続けられているので問題なのですが、これが前職のように40~80時間残業となってしまったら、自分んはとても続けられる気がしません。

「世の中には80時間残業の中でもプロカテゴリーで走ってる人もいるが?」という声もありますが、知ったこっちゃありません。

自分にはできません。

実際80時間残業していた頃にトレイルランニングを月40時間近く行っていたことがありましたが、とてつもなく厳しかったのを覚えております。

当時は23歳、その若さでも難しかったんだから今はもっと難しいと思います。

 

また、平日のアフター5を自転車にほとんど費やしているため、これもまた大変なこっちゃという感じです。

自転車レースに限らず、何かしらに打ち込む人は皆そうだと思いますが、あまりに規則的な生活すぎて口頭でも全て言えるほどです。

 

平日は、

6時30分 起床

7時10分 食事
8時30分 出勤

18時00分 帰宅

18時30分 トレーニング開始

21時00分 食事開始

23時00分 就寝

 

レスト日以外は例外なくコレです。

友人からも「楽しい?」と聞かれますが、楽しくはありません。

強いて言うなら、この練習メニューがインターバルであった日はやりきった後に「やりきったなぁ...」という満足感があること、ベース系のトレーニングであればアニメを流しながら行うので、そのアニメが面白いということくらいでしょうか。

ズイフトもやっておらず、トレーニングログも公開しておらず、Twitterで練習している様子も特に公開していないので、なおのこと味気ないです。

 

独身でやっているので、楽しくないというだけで全然やりくりできているので問題ないのですが、これに彼女や妻といった要素が入ってくると一気に潰れます。

 

僕も25歳で1年彼女がいなかったので、そろそろやばいかも!と友人の紹介で女の子をあてがってもらい、遊び、発展していったことがあったのですがこのサイクルをこなせないことにストレスを感じてしまったのと、金曜土曜でトレーニングできないことに苦しさを覚え、破綻しました。

彼女持ち、妻帯者が自転車競技を行うのは本当にすごい。

自分はできませんでした、マジですごい。(黒糖くんが不器用すぎるだけだ!)

 

自分のように大変不器用な人間が自転車競技という金も時間もかかりすぎてしまう趣味を続けるには、残念ながら何かしらを諦める必要が出てくるんだな、と思いました。

 

今、自転車競技を続けられているのは幸いにも自転車競技を続けられる環境にあるから、というだけに過ぎないのであって、何も自分が凄いからとかではないというのは努々忘れちゃいけないと思っています。

 

「土日は練習あるから夜しか遊べん!」

「外食、できればすき家がいい!」

「平日は練習終わった後に駄弁るだけでよければ!」

 

こんなこと抜かす付き合い悪すぎる僕と今でも関わりを持ってくれる友人や後輩たちには感謝しかない。いつもありがとうございます。

 

 

いつだっやめる理由は出てきてしまうからこそ、毎回「これが最後かもしれない」という緊張感を持ちながら自転車競技に打ち込みたいです。

 

 

満足できる、やりきったと言える最後であるためにも、少しでも上のカテゴリーで、少しでも上の順位で走りきって、満足してこの競技を終えることができれば、もうこれ以上は望まないだろうなぁ。(おわり)