黒糖です。
皆さんは満たされてますか?
僕は満たされていません。
では、どこへ行ったら、何になったら満たされると思いますか?
僕は「何者」かになれたら、満たされると思います。
前回のブログで、学生は何者にでもなれる存在であることを書いたかと思います。
学生とはイーブイのような存在で、何もしなくても「まだなにかになれる」という可能性に価値があるため、社会的身分が確保されます。
だから学生時代はとにかく満たされていました。
しかし、高校にしろ大学にしろ分岐点がきて、そこで嫌でも進化を強制されます。
20年そこそこ、あるいはもっと若くして、自分のことすらわからないのに企業分析をさせられ、偽りの自分で進化先を決めます。
ここで、一旦ハリボテの「何者」になります。
社会人という身分を持ちます。
人によってはイーブイからブースターに、ブラッキーに、環境にあわせてグレイシアになる人もいます。
その中でイーブイのまま過ごす人も決して多くはありませんが、一定数います。
正直どれが正解かはレベルアップした先でしかわかりません。
なので、選んだ進化先で自分の伸びやすい個性に対して努力値振りが大切であると考えます。
例えばブースターに進化したら、攻撃力が高いという得意分野があります。
攻撃力をあげ、なおかつフレアドライブを覚えればウィンディやエンテイには勝てなくても存在価値が認められます。
ただ、この理論値みたいな、何者かであるブースターになったら満足できるのでしょうか。
まだフレアドライブすら覚えておらず、努力値すら振り終えていないブースターである僕が「満足」の境地を語るのはおこがましいと存じておりますが、それでもきっと言えるでしょう。
多分どこにいっても何になっても満足できない、と。
ただし「人と比べている限り」という条件付きです。
人と比べている限り、必ずどこにいっても何になっても満足できないんだろうなぁ、と常々感じます。
自分は自転車のロードレースを趣味で行っているのでコチラを例にして話します。
自分が目標としているレースがあり、そこに向けて1ヶ月半の間死にものぐるいで練習しました。
死にものぐるいはかなり誇張していますが、文章に緊迫感を持たせるためにこの表現をさせていただきます。
その結果、なんとか優勝をかすめ取ることができました。
が、結局満たされたのはゴールラインを1番でくぐり抜け、でかい声を出した瞬間だけでレース後はどちらかといえば虚無に近い感情でした。
一応、一番下のカテゴリーでもチャンピオンになったわけですが堂々と胸を張れなかったです。
それは周りの人間の強さを知っているから。
結局、自分は運がよく勝てたんやろなぁ、くらいの気持ちでしかなく満たされることありませんでした。
実際にその次の練習会ではボコボコにされ自分の弱さを痛感しオメオメしていたことを覚えています。
こんな感じで、人と比べる限り幸せにはなれないし、何になっても満足できないんだろうなぁ。
でも、人と比べます。
やっぱ、何者かになりたいから。
人間だれしも「自分は非凡で人とは違う」という感情を大なり小なり抱えています。
それの表れは学校のカーストであったり、インターネット上であったり職場であったり様々ですが、この気持ちを持っていない人間は一人たりともいないと思います。
しかし、年々現実を知り「何者でもない」ことを痛感します。
今これを読んでる中にいるクソガキたちも「いや、そうは言うてもw」と抜かすかもしれませんが、そのうちのほとんどが何者でもありません。
かといって何者でもないことを認めるのもしんどいです。
何者でもないことを認めるのがしんどいなら、僅かな可能性にかけて何者かになることが一番の現実逃避だと思います。
ギリギリまで粘り、何者かであることを証明するために駆け回る人生はおそらく「満足」できると考えます。
ただ、これは非常にリスクが高いです。
もがき駆け回った結果、何者でもない場合もあるので。
自分が絶賛それで、大学4年のうち2年半くらい怪我してしまい、今は完治したにもかかわらず次は腰のヘルニアを抱えることになってしまいました。(ウケる)
花形のような企業に就くことはできず、結果自分は何者でもないことが明らかになり、頼みの綱である自転車も怪我をしてしまった。
それでもまだ、何者かになった先の景色がみたくて諦めずリハビリを続け競技復帰を目論んでいます。
何者かになったら、きっと自転車で強くなり高いところから見下ろしたら満たされる。という淡い欲を醸し出して。
つまり、僕が追いかける「何者」は実態があるかどうかわからない存在であり、それになることができたら報われると強く思い込む存在であり、もはや偶像崇拝に近いものなのだと思いました。
何者という偶像を追いかけること自体に満たされているのかもしれません。
それでもきっと追いかけ続け、いつか崖っぷちに立つときに後悔するかもしれません。
それでも、それがわかっていても今なお走り続けもがき続け探し続けることをやめないでしょう。
これを読んでいる中にいる何者でもない皆さんも、一緒にもがき続けましょう。
何者かである証明をして、満足した先にあるなにかを目指して。